営業時間:10時~20時 定休日:毎週木曜(稀にお昼までの営業あり)

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コウイチの詳しすぎるプロフィール

今回は長編の記事だから気合を入れて読んでね!。

コウイチ

じゃあ、読むのやめようかな。
なんだかめんどくさいし・・・。

キシ子

ちょっちょっちょ、ちょっとまってよ!
少しだけでもいいから見ていってよぉ。

コウイチ

わかったわよ!じゃぁ少しだけよ・・・。

キシ子

ありがとう!気合を入れて書いたからそれなりに楽しんでもらえると思うよ!!

コウイチ

名前
生熊 康一 (イクマ コウイチ)
ポジション
スタイリスト (クラムスターのオーナー代表)
生年月日その他
★1982年3月23日生まれ

★血液型(O型)

★星座(牡羊座)

出身地
和歌山県那智勝浦町
好きな食べ物
とにかく肉が好き。

あとは、味の濃いもの(笑)※だから太ったんです!

嫌いな食べ物
★納豆

★なれ寿司 ※和歌山の人なら知っている、(滋賀県で言うふな寿司みたいな感じ)

★和歌山県民なのに(梅干し)が苦手・・・。

趣味
★野球 (自身も小学1年から高校までやっていました)

※(注意)もちろんこれは私ではありません(笑)

★ウインタースポーツ(スノボー)

★ボーッと出来る時間(笑)これ絶対に必要です!

コウイチは、どのように今現在までに至ったのか?ざっと説明!

ここからは、私がどのように今の現状に至ったのかを出来る限りわかりやすく説明していきます。

子供の頃

和歌山県の那智勝浦町(実家)で中学校まで生活をしていました。

今の自分でもびっくりしますが
子供の頃の僕は、自分の家にお客様が来たら冷蔵庫の影に隠れて泣いているくらい人見知りでした(笑)

だから、今でもおばあちゃんに「こうちゃんが、客商売するとはねぇ」って言われます。

昔を思えば自分でもそう思います(笑)

下の画像は、那智勝浦町の世界遺産「那智の滝」です。
僕は、この那智の滝から少し下に降りたところに小学校がありその小学校に通っていました。

それにしても、のどかでしょ??
学校の遠足や写景の授業なんかで」よくここに来ましたし
友達もこの那智山に住んでいたりもしたのでよくお寺や神社の周りで遊びました!

夏になれば毎日と言っていいほど野球をやっているか海か川に泳ぎに行く!
学校の授業でも5年生以上の学年は(プールの時間は川に行く)っていうものすごい田舎!

夏のある日の話ですが友達と帰っている途中に我慢できなくなって川で泳ぐっていうことなんかもありましたw!!

こういった所で育ったからかなんせ「マイペース」ですし「フワフワしてる!」なんてお客様に言われたりもします(笑)
でも心配しないでください!

仕事はちゃんとしますから(笑)

ちなみになんですが今、僕が代表取締役の「株式会社 那智」という名前はここからとって名付けました!

この下の画像は、お父さんと僕です!

残念ながらお父さんは僕が1年生のときに亡くなってしまいましたが
看護師のパワフルなお母さんとやさしいおばあちゃん、楽しい姉や温かい周りの人にも恵まれ普通以上の生活をさせていただきました。

このときの家族構成はお母さん、おばあちゃん、姉と僕の4人家族。

運動会にもなれば、親戚の人なんかも集まってくれて応援してくれていました!
考えてみればこの頃から自分は、「人に恵まれている」と感じます。

今までも色々なことがありましたが決まって「助けていただける人」や「支えてくれる人」が現れていました。
これってすごくありがたいことですよね?

だから今現在でもお店に来ていただける「お客様」や「メーカーさん」「ディーラーさん」など、それ以外でも関わりのある方には感謝をするように心がけています。

当然、人間ですから相手によっては「感謝しにくい」とか「関わりたくない」という相手もいますよ(笑)

今、自分が父親になってからは「子供の頃にそこまで強く感じなかった父親がいない寂しさ」が違う形になって感じます。

「一緒にお酒を飲みたかったなぁ・・・」とか。

だから、正直なところ子供が生まれ親となってから「どんな感じで接したらいいか」というのがわかりませんでしたね。

今現在は、そんなことも言っている暇がないので妻には迷惑をかけ通しですが頑張っています!

野球にまっしぐらの時代

プロフィールにも書きましたが実は僕、小学校の1年生から高校3年生まで「野球」をしていました!

中学校までは、地元で野球をしていて野球まみれの生活をしていました(笑)

高校からは、地元を離れ野球の強豪校(南部高校)に入りました。

そうです!当然のことですが寮生活です!
寮生活は、ガッチガチの縦社会・・・。

練習は16時から始まり、夜は終電のメンバーから帰っていく。

ちなみに僕は最終組・・・。

なぜか?

グランドの横に自分が住んでいる寮があったからなんです。歩いて1分(笑)

練習が終わり、寮に帰ってきても次は先輩の為に動きます。

★無造作に部屋の前に積み上げられた先輩の洗濯物を夜遅くまで洗い続ける!(たまに「これ乾いてないやんけ!」って怒られる)

★先輩が「何か食べるもの持ってきて」といえば食堂に行って用意して部屋まで持っていく。

★「疲れたから足を揉んで!」と言えばOKが出るまで揉み続ける!

★背番号つけといてと言われればなれない裁縫で背番号を夜遅くまで縫い続ける

★「何かおもろい事やって」といえば先輩の前で一発芸をする!

これが本当にきつかったんですよ(笑)

でも、今思えばここの経験が自分の糧になっていることは確かです。
きつかった寮生活の経験なども今では自分の財産です。

話は変わりますがここでもやっぱり親に感謝です。
なかなか母子家庭でお金のかかるスポーツや寮生活の高校なんかに行かせてもらえないですよ!
本当にありがたいです。

最後の夏は、残念ながら和歌山県大会で智弁和歌山高校に負け準優勝で終わりました。

まぁ自分なんかは、ヘナチョコなんで周りには野球が上手な選手がゴロゴロいたせいか最後の夏が終わると
次は、「海外にも行ける仕事がしたい」と漠然と思うようになりました。

後々 今現在の「美容師」という職業にたどり着きます。

自分がもしそのまま地元に残って地元の高校で野球をしていれば勘違いして大学でも野球をしていたかもしれませんね!
早くきづいて良かったです(笑)

この頃からですかねぇ、何処にいてもどんなことでも「なんとかなっていく」って思える様になったのは・・・。

美容師への階段を登り始める

野球も終わり本格的に美容師になりたいと思うようになってきます。

ここで、なぜ美容師かといいますと

①先程も書いたように「海外にも行ける仕事をしたい」というところ

②今まで野球部だったので全く髪の毛を触ることもなく(野球が終わり)触ることに夢中になっていたから

③洋画が好きだった!※(寮生活ではテレビなどは見えなくてもっぱら借りてきたビデオを観ることしかできなかった)

④自分で言うのはおこがましいですが、手先の器用さには自身があった。

こういった理由から畑違いの「美容師」という世界に飛び込むことになります。

ここからが、美容人生の始まりです。

正直(野球)から(美容師)という畑違いの方向性でかなり生活が変わっていきます。

美容専門学校時代

初めに、ちょっと余談なんですが
美容専門学校に面接をしにいった時の話なんですが、受かった理由がわかりませんでした(笑)

面接会場につき面接官の女性の方と(野球の話で盛り上がった)ことだけ覚えています。(笑)

まぁそんな感じで美容専門学校に無事受かり通い始めることになります。

っというか「この写真を見ていただいて気づいた方も多い」のではないでしょうか?

はい、そうなんです。

痩せています!かなり今より痩せています!!

実はこの頃は今現在と違い今より20kgも痩せていました(笑)

まぁ幸せ太りというやつですよ!!

この頃は、大阪府堺市にある美容専門学校に通い始めていた頃でした。
当然、実家を離れていますから一人暮らしです。

でも、先程お話したように高校時代から寮生活をしていたのでなんら苦労はありませんでした「寮生活ありがとう!!」

初めは、本当に苦労しました。

なんせ高校まで「野球しかしたことのない男」でしたから・・・。

専門学校は2年制なんですが1年生の途中からでしょうか?

とある美容室にバイトで通い始めます。

この美容室には、当時の美容学校の友達がもともと働いていたのですがその友達から「今度新しくオープンする店舗があってオープニングスタッフを探しているみたいだからどう?」と言われ雇っていただくことになります。

ですのでこの時から卒業まで、美容学校が終わったらお店に出て働くというような生活をしていました。

すんなり自分でも受け入れてこのように大変な美容学校生活を送り始めたのにはちゃんと理由があります。

どうせバイトをするなら関係のない職業より目指している職業の方が、働き始める前に仕事を覚えることが出来るので効率がいいと思ったからです。

ここのグループ会社がその後の就職先になります。

下積み時代

入社してからの下積み時代は、本当にハードでした!

仕事の内容的には全然ついていけましたがとにかく休みがない。
野球部時代に休みがないことはなれていましたが又そのしんどさとは違いました。

休みになれば、講習やセミナーなどやランクアップのテストなど・・・。

だから休みが休みじゃない状態。

あと、この頃自分を苦しめていたのが「肌荒れ、手荒れ」です。

もともとアトピーを持っていた自分は、一日にかなりの人数をシャンプーする状態がかなり過酷に感じました。
何よりもこの「手荒れ」で苦しめられたのは「手のかゆみと痛みがひどくて寝れない!ストレスが溜まる」ことでした。

この頃は、朝起きるとかきむしってジュクジュクになった手に布団がひっついているくらいでした。

薬なんかも当然、市販のものなんかじゃ追いつかず「強力なステロイド」しかありませんでした。

正直なところ「ステロイド」でも手の荒れを治すまでには至らなかったですね・・・
毎日毎日シャンプーをして「お湯」と「界面活性剤」を使うわけですから!

お客様からも「可愛そう・・・」「大変やね・・・」みたいな声をいただいたり
あるときは、「ビニール袋いっぱいのアロエ」をもらったこともありました(笑)

昔からそうなんですがもともと僕は「気になることは解決しないと気がすまない」「わかるまで聞き続ける」「理解できなかったり、腑に落ちないと寝れない」という性格でしたので先輩にわからないことがあったり営業に対して納得出来ないことがあれば夜中でも先輩に電話していました。

かなりうっとうしい感じだったと思いますよ(笑)

たまに「チョット黙っといて」って言われたこともあるくらいです(笑)

まぁそんなこんなでスタイリストまでのぼっていき悩みだった「手荒れ」なんかもシャンプーの回数が減り治っていきました。

トップスタイリストを目指し爆進!

スタイリストになった僕は、自分のレベルアップのために相変わらず休みの日にはセミナーや講習に通う日々!

この頃の自分は、少し余裕を持てるようになってきていたので美容師をはじめた頃にいだいていた「海外にも行きたい」という思いが強くなっていました。

ニューヨークで武者修行!

そして遂に夢が1つ叶います!
この頃から海外などもバンバン行きました!

まずはじめの写真はニューヨーク!

この行った年は、写真を見て気づいた方もいるかも知れませんが「ワールドトレードセンター」の前です。
そうです(9.11)同時多発テロの次の年でした。

本当は、そのテロが起こった年に渡米するはずでしたがテロの関係で次の年に渡米することになりました。

この時の経験は、本当に自分にとって財産になりました。

色々な文化や今までになかった考え方、そして美容という仕事に対しての向き合い方など。
そして何より自分に響いたのがニューヨークで働く人間のメンタルの部分です。

アメリカは、日本のように年齢をあまり気にせず「実力社会」ですので日本のように仕事の上では「年功序列」のような文化はあまりありません。

だから働いている人も「年齢」なんかあまり気にしません・・。

普通に30代~40代なかばの方がアシスタントとして日々頑張っていたりしているのは普通の光景でした。

本人に色々と聞いてみても前向きなことしか帰ってこない!

このような体験をしたことで僕の人生に大きな衝撃を与えたことは確かです!!

ここで、ニューヨークで頑張っていた頃のメンバーさんの写真やセミナーの時の写真。

そして、僕が撮った「フォト作品」なども載せておきますので是非ご覧になってください!

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ニューヨークで色々と助けていただいた日本人スタッフの方や一緒に頑張ったメンバーの皆さんです!

真ん中に写っている女性と2ショットの写真があると思いますが
この女性はなんとあのヴォーグという世界的に有名なファッション雑誌の大スター「ナオミ・キャンベル」さんなどのメイクも担当していた方で本当にすごいメイクアップアーティストの方なんです。




ニューヨークで撮ったフォト作品の一部







シンガポールとマレーシアで貴重な経験(ヘアーショー)

ここからは、シンガポールとマレーシアにヘアショーで行った時の写真です。

ヘアーショーの時の利用したモデルさんは日本のダンサーの方とシンガポールやマレーシアの現地で募集をかけて集めたモデルさんです。
言葉は、なかなか伝わらなくてもなんとか苦戦しながらヘアーショーを成功させる事ができました!

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遂に夢が叶い貝塚市のオークタウン貝塚に自分のお店をもつ!!

そして、遂に26歳のときに大阪府貝塚市の(オークタウン)の中に美容室CLAMSTARをオープンさせました!
正確には、もともとお世話になっていました会社のフランチャイズで初めはオープンさせたのですが色々とありその会社を離れ完全独立で始めることを決めました!

もちろんこのお店のオープンは自分だけの力だけでは難しいものでしたのでこのときもたくさんの方々にお世話になり実現することができました。

本当に感謝しかありません!!

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この写真は、お店を貝塚市で運営しているときに一緒に働いていましたメンバーです!
色々なことがありましたが非常に良いスタッフばかりでした!

今思えば経営者として未熟な僕を頑張って支えてくれていたと凄く感じます。

スタッフに我慢をさせてしまったり不安な思いもさせてしまっていたこともあります・・・。
申し訳ない気持ちで何日も寝られないような時もありました。

その他言えないような事件や大変なこともありましたが
これも経験ですね(笑)






27歳で結婚!そして子供も授かりました!!

そんな、美容室の運営で奮闘している頃
8年間付き合っていた今の妻と結婚することに!!

かなり長い間待たせてしまい申し訳なかったです・・・。

後から聞いた話ですが「プロポーズをした時期よりもう少し遅かったら別れていた」と言われました。

そりゃそうですよね、8年間も待たせていたんですから・・・

自分は仕事のことに夢中になり結婚に踏み切れないでいました。
結婚に踏み切ったきっかけは姉と母親にうながされたから・・・。

もちろん「この人と結婚したい!」とは思っていましたが
自分は、これと思ったら「その事ばっかり」になってしまう性格もあり気づけば8年って感じでした。

やっぱり男って周りが見えていないんですかね(笑)

そんなこんなでなんとかこんな僕でも結婚することができ
かわいい娘も授かりました!

この頃からですかね・・・

仕事に打ち込む「意味と目的」がはっきりとしてきたのが!
明らか結婚と娘ができたことで考え方が変わりました。

出産日は、なんと12月31日です!!

この年は、正月という気がしませんでした(笑)

絶望的な経験!平成23年に起こった歴史的な大型台風の水害で和歌山県那智勝浦にあった実家を失う。

結婚もして子供も授かり幸せの最中、絶望的な出来事が起こります・・・。

平成23年9月4日、台風第12号(大型台風)による大被害です。

台風12号の概要
四国から中国地方を縦断した台風第12号の影響により、和
歌山県では県南部を中心に8月30日から9月4日にかけ激し
い雨に見舞われ、気象庁観測局の古座川町西川地点の
1,114mmをはじめ、観測地点18カ所のうち14カ所で72時間
雨量の観測史上最高値を記録するなど記録的な雨となった。

今回の豪雨による河川の氾濫や土砂災害等により県内で
は、死者56名(うち災害関連死6名)、行方不明者5名(平成
24年4月6日現在)という人的被害をはじめ、広範に及ぶ市街
地の浸水、河川道路等の損壊や、電気、上下水道、電話など
のライフラインの断絶など甚大な被害が発生した。

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幸い母親たちは、ココまで水が押し寄せてくる前に避難していたので命までは失いませんでしたが
この大型台風での被害は、絶望的なものでした。

この事実を母親や姉から聞いたり、テレビで確認したとき
すぐに地元に帰って片付けや生活の再建にすぐにかかわれないもどかしさがすごく強かったことを今でも覚えています。

その時の、実際の実家の写真が下の写真です。

思い出の詰まった実家は跡形もなく
家の中に入れば頭の上すぐに天井が来るほど床に土砂や流木が積み上がっていました。

呆然と家のなかを見て回っている時にあることに気づきます。

「母親の部屋が跡形もなく流されていました」

この事実に気づいたとき本当に心の底から底知れぬ恐怖が上がってきたのを覚えています。

正直な所、片付ける気さえ起こらないほどの被害でした。

人間てここまでひどい状況を目の当たりにすると目をそむけたくなるんですかね・・・?

近所の、むかしからお世話になっていたオッチャンやオバチャン達は
どうしていいかわからない様子でただただ呆然と立ちすくむだけ。

本当に絶望的な経験でした。




現在の実家、和歌山県串本に引っ越しをして一から再出発

実家が水害にあうという最悪の経験をした後
「那智勝浦町」を離れお母さんの実家の「串本町古座川」に実家を移すことになりました。

母親には、大阪に来て「一緒に住もう!」と提案したのですが
母親は「帰ってくる場所を作っといてあげたい」ということで大阪に来るという選択えお選びませんでした。

古座川は、下の写真を見てもらっても一発でわかると思いますが「超ど田舎」です(笑)

僕は、そんな田舎が大好きです!

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なんと、古座川は鹿が出現するような大自然

悲劇!大好きだった3つ離れた姉の他界・・・

実家の再建なども進み「やっと落ち着けるね!」って思っていた矢先の事でした。
大好きだった3つ上の姉が急に他界しました。

もともと体が悪かったこともあったのですが、ホント急な出来事でした。

・・・。

って感じですよね?

そうなんです、この時ばかりは僕も母も気がおかしくなりそうでした。
「なんで自分たちばかりこんな事が起こるのかな?」って本当にこの頃は毎日思っていましたね。

母とも「うちの家系は何か呪われてるんかな?おはらいに行かなあかんね」って言っていたくらいです。
更に僕も失意の中、気がつけば週刊誌で特集されている有名な「瀬戸内 寂聴さん」の青空説法に申し込もうとしていたなんてこともありました(笑)

またもや悲劇!オークタウン貝塚の閉鎖にともないくクラムスターも閉店・・・。

実家の再建なども終わり姉の死も受けれ、やっと乗り越えながら落ち着いてきたと思った頃またもや悲劇が襲います。

貝塚からクラムスターをご利用いただいておりますお客様はよくおわかりかと思いますが

「オークタウン貝塚」の所有者がかわり閉館することになりました。

当然、その閉館に伴いオークタウン貝塚で10年間美容室を行ってきたクラムスターも移転をしいられます・・・。

しかも、その事実を告げられたのが「6ヶ月前」!!!
無茶苦茶だと思いませんか?
法律的にはギリギリ許されるようですが「6ヶ月なんかで移転と改装を行いオープンなんかできるわけないやん!」と思ったのが正直な気持ちでした。

お気づきの方もいるかも知れませんが
自分たちの美容室という仕事はただ「場所」があればできるような仕事ではありません。

「内装」もしなければいけませんし今までのお客様に迷惑をかけないために
今の場所から「あまり遠くない場所」にもしなければいけません!
そのお客様への告知も行わなくてはいけません!

何より、そんな短い期間で「次のお店の場所」も探さなくてはいけません。

もう、この時期は実家の災害に加えお店の移転などなど色々なことが降りかかり本当に「自分が何か呪われているんじゃないか?」「おはらいに行ったほうがいいのかな?」って本気で考えました(笑)

新転地!岸和田市野田町に美容室CLAMSTAR(クラムスター)を移転リニューアルオープン

そして色々な方の助けや出会いなどもあり、なんとか今のクラムスターを大阪府岸和田市野田町に移転リニューアルオープンすることが出来ました!
この時助けていただいた方には感謝をしてもしきれないくらいです。

本当にありがとうございました!!

※写真をクリックすると拡大チェックできます




皆様、最後まで長々とした記事に付き合っていただきありがとうございました。

僕のことを少しでも知ってもらおうと包み隠さず気合を入れて自己紹介させていただきました。

是非これからも「美容室CLAMSTAR」と「生熊 康一(イクマコウイチ)」をよろしくお願いいたします!!